EUKARYOTE, 3F
EUKARYOTEでは6月14日(金)〜6月30日(日)までの会期にて、田中-永峰 良佑の個展「As a flower」をスペース3Fで開催いたします。
昨年11月に台湾高雄のレジデンス(Pier 2 art center)で行った滞在制作と、その成果発表を元に帰国した今も継続している制作を交え、映像と写真をインスタレーションし発表いたします。是非ご覧下さいますようお願い申し上げます。
1990年生まれ、2017年東京藝術大学大学院美術研究科卒業。2013年に「MEC AWARD 2013」 佳作入賞ほか、2016年に「国立奥多摩映画館 」(国立奥多摩美術館、 奥多摩、東京)や、2017年「西荻映像祭 2017 -不可分な労働と表現-」、2018年「美学校・ギグメンタ2018/ 明暗元年」に参加するなど、田中-永峰 良佑は社会や歴史によって客体化されてしまうそれぞれの”私”たち、日本のみならず世界各地にいる”私”と対面しながら、可能性の形を与えることをテーマに活動を続けています。
–
“As a flower”
昨年、僕は台湾の高雄にアーティスト・イン・レジデンスとして一ヶ月滞在した。
実は台湾に行くのは初めてだった。もちろん、台湾について興味はあったけど、その複雑な歴史や文化、政治について知らないことが多すぎて、”台湾”の文字の踊るカラフルな旅行雑誌を見ながら、行きそびれていたような感じだった。
それから台湾のことを知っていくほどに、”台湾”という場所は近代の歴史のなかで、住む人のアイデンティティが他者の暴力によって次々に変えられて、そして現在も、人それぞれに揺れている場所だということをあらためて知った。その他者の中には紛れもなくかつての日本の人びとがいることも。
台湾に着いてから、若い人たちに”台湾の伝統的な歌”を教えてもらった。
その歌の名前は、「雨夜花」と言い、自らを夜の雨に濡れた花にたとえて、失恋の激しい絶望が台湾語で歌われていた。そしてそれは同時に、台湾という場所が植民地として支配されてきた哀しさを歌っているのだという。
僕は今、その”台湾”という場所にも日本のパスポートを使ってしか行けないし、台湾語も中国語も話せないし、今、それからどれほど逃れたいと自分で思っても、多くの人に”日本人”と呼ばれてしまうのだろう。様々な歴史や思い出が、簡単に越境することを許さないだろうと思った。
でも、決して簡単では無いけど、そういう運命に向き合い、変化させて、理解する可能性は未来に残されているんだ、と信じることにして、制作をはじめた。
“我々は国家が犯した犯罪の共犯者となってはならない
その罪とは戦争であり、植民地化であり、またそれらを誤魔化すことである”
( 武藤一羊 「共生」への触発―脱植民地・多文化・倫理をめぐって 著: 花崎皋平 みすず書房 )
でも同時に、目の前の人が”何人”だろうがその人や自分やどう呼ばれようが、どこで生まれ育とうが、何語を話そうが、そんなことは、溢れ出る愛情や友情の前では、たいしたことじゃないはずだ。そうだよね…。
”人間は有限である。だから。正しい秩序の観念を、自分の心情に近いところにしか用いられない”
(シモーヌ・ヴェイユ『前キリスト教的直感』 今村純子訳 法政大学出版局)
だから僕はなるべく、人の近くに行きたい。たとえ目の前の人でも、全然わからないことが多いのに、遠ざかる距離はそれをさらにわからなくしていってしまう。
それならば、自分自身の距離を変えて、少しでも心の近くにいたい。今はそう思っている。
田中-永峰 良佑
–
月曜日
2019年6月14日(金)18:00〜20:00
PAGE TOP