EUKARYOTE 2F
EUKARYOTEでは7月6日(金)から8月5日(日)までの会期にて、2018年に東京藝術大学大学院先端藝術学科を修了したばかりの若手作家である海野林太郎の個展「サスペンデッド・エクスプローラー!」を、新作の映像作品を中心に空間をインスタレーションし開催いたします。
情報技術やインターネットが社会インフラとして定着した環境で幼少からTVゲームに親しんできた海野にとって、FPSゲームは遊戯としてだけでなく、他の受動的な映像体験と比較してより選択を迫られる能動的な装置として捉えています。
今回出展される映像作品の基となった過去作「ファースト・パーソン・サスペンス」のタイトルの一部であるファースト・パーソンとは、TVゲームのFPS:ファーストパーソンシューティングシステムから引用されており、FPSにおいては自身の視点=カメラとなり、モニター画面で認識できるのは任意で移動可能なフィールド上にプレイヤーキャラクターの腕や武器など一部のみで、プレイヤー自身の姿が見えるゲームシステムとは区別されます。
映像作品の中で、第一者視点の人格は立ち現れてくるそれぞれのオブジェクトに対して武器の代わりにスマートフォンのカメラを向け、写し撮りながら、山林の背景の中を移動して行きます。フィールド自体は郊外にごくありふれた素朴な現実そのものであり、視点が捉える個々のオブジェクトは作家のバックグランドを思わせる物はあっても、一見それらが繋がるような物語性は見出せません。しかし、その映像体験は日常と仮想との境界を曖昧にしながら、私たちの視覚が普段捉えているものとのずれや違和感を感じ取ることができるでしょう。
鑑賞者が第一者視点を通し、その第一者の人格がカメラを向けるメタ構造によって、映像の中の第一者が常に何かを取捨選択しながらリアルタイムに映像自体を編集していく体験は強調され、それはSNS上で複数の仮想人格を使い分けたり日常での無意識の選択が加速化する現代のリアリティとしてもオーバーラップしてきます。
技術の発展に従って仮想空間に現実の身体性を同期させていく作業だったものに対し、海野は今回の作品ではそれを反転させ、オープンワールドに見立てた現実においてゲーム上の身体感覚をフィードバックさせる試みだとしています。
これまでの発表作品の中でもインスタレーションを鑑賞者に対するある種の儀式として構築してきたというように、本展は日常と等価値となった仮想空間での身体性を通して鑑賞者が思考する為のメディアプラクティスとも言えるでしょう。
月曜日、火曜日
2018年7月6日(金)18:00〜20:00
根本匠
海野林太郎
1992 東京都生まれ
2016 東京藝術大学 美術学部先端芸術表現科 卒業
2018 東京藝術大学 大学院美術研究科先端芸術表現専攻 修了
個展
2017 「ずっと見張っていなさい」野方の空白
2016 「ブルーフィールド」 浦賀の海中
主なグループ展
2018 「芸宿を送る会」(カタルシスの岸辺)芸宿 石川
「無礼らか~」TATARABA 東京
「PREVIEW」(カタルシスの岸辺) EUKARYOTE 東京
「卒業・修了作品展」東京藝術大学 東京
「超循環/super circulation」(カタルシスの岸辺) EUKARYOTE 東京
2017 「パープルーム大学尖端から末端のファンタジア」 ギャラリー鳥たちのいえ 鳥取
「カタルシスの岸辺 2nd season ―動牙番長―」(カタルシスの岸辺) セゾン・アート・ギャラリー 東京
「牛窓亜細亜芸術交流祭」瀬戸内市尻海区材木場 岡山
「GINZA 24H SQUAD」(カタルシスの岸辺)銀座某廃ビル 東京
「WIP展2017」東京藝術大学 茨城
「生活はふるさとのように上演されている」世田谷生活工房 東京
2016 「iphone mural」Block House Tokyo 東京
「シーサイドプールサイド」稲毛海浜公園プール 千葉
「コラプス・イヴ」豊島区旧庁舎 東京
僕は去年から、現実の風景があたかもFPSゲームのフィールドであるかのように見える撮り方を練習していた。暇を見つけてはホームレスの集落や廃墟に赴き、スタビライザカメラを身体に固定した状態で、ゲーム特有のうごきである「クリアリング」や「エイム」の動きを繰り返し反復練習していた。
その甲斐あってか、半年ほどである程度ゲーム的な動きを身体化し、現実にある場所を架空の場所であるかのように撮れるようになった。去年の12月に発表した作品「ファースト・パーソン・サスペンス」はまさしくその動きを習得するためのメディア・プラクティスでもあったわけだ。まあ、簡単にいうと「撮った」というコトがすごく薄くなるんだ。なあ。あんたはそんな感覚ないか?読んでるあんただよ。もうカメラと目はあんまり関係ないんだよ。な。「何処へもいかずに」ということが「どこへもいけない」に簡単に反転しちゃうし、死んだってすぐ蘇生できる。隣の君もそう思うだろ。オレはブレをすべて打消しちゃうから、まるでフワフワした幽霊みたいなんだ。憑いたり離れたりしてね、すごく気持ちがいいんだよ。
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